2026年10月6日、OpenAIは公式ブログに「Sharing AI progress in mathematics」を掲載しました。あわせて、まだ公開していない社内モデルが書いた数学の原稿722本を、自社のGitHubリポジトリに一挙に公開しました。公開の翌日、OpenAIはそのうち3本を撤回しました。同じ日の変更履歴には、撤回後に残った719本のうち、Leanという証明検査プログラムで証明の正しさが確認されたものは約42%だと記されています。残りの原稿が正しいかどうかは、数学者が自分で読まなければわかりません。

OpenAIはAIモデルに数学の研究問題約4,000問を解かせ、その結果を原稿722本として一挙に公開しました

リポジトリのREADMEによると、結果の大半は未公開の社内モデルで同じ手順を踏んで得られたものです。OpenAIは評価期間中にモデルへ約4,000問の研究問題を出し、結果を372のまとまりに整理しました。372は結果が出た問題の数です。1つの結果に複数の原稿が付くことがあるため、原稿の数は722本になりました。選定の基準としてREADMEに書かれているのは、「適切な水準の重要性」を求めたという一行だけです。4,000問のうちいくつで失敗したのか、372問を具体的にどう選んだのかは書かれていません。結果1つあたりに使った計算量は、平均するとChatGPT Proが3時間考えるのに使う計算量とほぼ同じだと、OpenAIは説明しています。

約4,000問モデルに出した研究問題
372問結果が出た問題(結果のまとまり)
722本公開時の原稿数
平均約3時間結果1つあたりの計算量(ChatGPT Proの思考時間に換算)

OpenAIはこの取り組みを、モデル評価の一環だと説明しています。既存の数学の試験問題はモデルがほぼ解けるようになったため、まだ答えのない研究問題にまで評価の範囲を広げたといいます。原稿とともに、Lean形式化の一部、モデルの推論の要約10件、計算量の推定、試した問題数の統計も公開しました。

すべての結果がこの手順に沿ったわけではありません。READMEによると、リーマン・ゼータ関数の零点のない領域に関する研究と、CMアーベル多様体に対するホッジ予想の証明は、この手順の外で得られたものです。また、Re(s) > 11/12 の零点のない領域に関する原稿は、人が読みやすいように手を入れたとしています。今回の発表は、OpenAIがまだ出していないモデルの成果発表でもあります。ブログには、このモデルを「責任を持ってリリースする」(responsibly release)つもりだと書かれています。

公開翌日、OpenAIは証明に計算ミスがあった原稿3本を撤回し、これとは別に14本の証明を修正しました

リポジトリの変更履歴(history.md)の10月7日の項目には、撤回3本、証明の修正14本、引用だけの変更13本、形式化6件の追加がまとめて記されています。Retraction Watchも、公開の翌日に撤回があったと報じました。ただし、撤回告知の本文では撤回日が10月6日となっており、変更履歴の日付とは1日ずれています。

撤回の発端は、「Algebraicity of Weil classes on split abelian eightfolds」という原稿でした。撤回告知によると、この証明はある計算ステップで符号を+1としていましたが、実際の符号は−1でした。符号を1つ逆にしたせいで、0になるはずの値が0でない値(−2m)になり、証明が頼っていた定理(Eliashberg–Murphyの消滅定理)が使えなくなりました。この原稿の構成を借りていたK3曲面に関する原稿2本も、あわせて撤回されました。告知は「この撤回は証明に関するものであり、命題が偽であることを意味しない」という一文で締めくくられています。証明が誤っていることと、命題が誤っていることを分けて書いているのです。

証明を修正した14本は、この符号の誤りとは原因が異なります。変更履歴は、この14本を証明の補修や主張の修正といった別の理由で直したと記しています。

変更の種類本数内容(history.md 10月7日の項目)
撤回3本符号の誤りがあった原稿1本と、その構成に依存していたK3曲面関連の原稿2本
証明の修正14本Lipschitz高さ4本、Kähler MMP 6本、taming 2本、その他2本
引用の修正13本改訂版を指すよう引用だけを変更
形式化の追加6件Lean形式化を新たに追加(補助的な結果5件も追加)

誤りを最初に見つけたのが誰かについて確認できるのは、OpenAIの広報担当者がRetraction Watchに「監査(audit)の過程で」見つけたと語ったことだけです。研究責任者のDan Roberts氏はXで、「新たなLean形式化6件、修正19件、撤回3件」(6 new Lean formalizations, 19 modifications, and 3 withdrawals)とまとめました。この修正19件が、変更履歴の証明修正14本・引用修正13本とどう対応するのかは、公開された説明にはありません。それでも、会社が訂正の内容を自ら日付ごとに残したため、外部からも何が変わったのかを追うことができます。

残る719本のうち、証明をプログラムで確かめられたのは42%。残り58%は数学者が自分で読んで確かめるしかありません

変更履歴には「300 / 719 = ~42%」と書かれています。撤回後に残った719本のうち、300本の証明をLeanで形式化したという意味です。Leanは、証明をコンピューターが読めるコードに書き直すと、各ステップが論理的に正しいかをプログラムが検査してくれるツールです。この42%は、公開翌日に形式化6件を追加した後の数字です。公開初日のREADMEは、形式化について「多いが、すべてではない」(Many, but not all)と書いただけで、割合は示していませんでした。

300 / 719Leanで形式化された代表的な結果
約42%プログラムが証明を検査した割合
約58%数学者が読んで確かめる必要がある割合

残りの約58%には、機械による検証がありません。READMEも「形式化されていない結果の一部には問題がある可能性がある」(Some of the unformalized results could have issues)と自ら記しています。広報担当者はRetraction Watchに、結果の「おおよそ50%」が未確認のまま公開されたと語りましたが、リポジトリの数字から計算した58%とは合いません。本記事はリポジトリに記された数字に従います。

形式化を終える前に公開してよかったのかについても、意見が分かれています。広報担当者は、IASの独立諮問グループAGMAIが、完全な形式化を待たずに公開するよう勧めたと述べました。AGMAIの勧告の第4項は、形式化が受け入れがたい遅れを生む場合には、形式化の状況を明示するよう求めています。ところが同じ勧告は冒頭の段落で、AI研究所が社内モデルで高度な数学の問題を試す慣行を支持しないとし、結果はAI研究所が管理していないリポジトリで公開するよう勧めています。OpenAIは自社のGitHubで原稿を公開し、ブログにはコミュニティが運営する代替手段を検討中だと記しました。CornellのAlex Townsend氏は、Leanで検証された原稿を先に発表し、残りは別に発表して検証への協力を呼びかけるべきだったと話しています。

Leanによる検証が原稿の証明をそのまま保証するのかについては、別の事例で反論が出ています。CambridgeのAnders Hansen氏ら3人は、OpenAIが9月に別のリポジトリで公開したNavier-Stokesの証明について、Leanのコードが自然言語の証明とは異なる、より弱い主張を証明していると指摘しました。自然言語の証明はm+4回の微分を扱っているのに、Leanのコードはm+5回の微分を扱っている、という例を挙げています。ただし、今回の719本を分析した論文ではありません。Hacker Newsでは、最終的な命題をLeanに書き直す際に使った定義は人が事前に書いたものなので最終命題には問題がなく、ずれているのは中間ステップだけだという反論も出ており、議論は続いています。いずれにしても、プログラムが検査する対象はLeanで書き直された主張です。その主張が原稿の文章と同じ内容かどうかは、最終的には人が確かめなければなりません。

数学者たちは、原稿を一本ずつ読んで確かめる作業は、自分の研究を止めなければならないほどの負担だと訴えています

Hansen氏はNew Scientistに、「大規模言語モデルが生成したこれらの証明はすべて人が読む必要があり、この作業は数学者に途方もない追加の負担を強いる」と語りました。

集合論の研究者Asaf Karagila氏は、自身のブログの「問題リスト」のページで、分割原理(Partition Principle)の問題を解いた人にウイスキーを1本贈ると約束していました。本人が100年以上解かれていないと書いているこの問題をOpenAIが解いたと発表すると、人々はKaragila氏に、Sam Altmanにウイスキーを贈るのかと尋ねました。Karagila氏の答えは「答えはノーだ」(The answer to that is no)でした。

「いくつもの論文を仕上げようとしていて、博士課程の学生を何人も指導していて、自分の研究も山ほど抱えている。出来の悪い論文を、いつ精読しろというのか」(“I am trying to finish several papers, I am supervising a number of Ph.D. students, and I have a lot of active research of my own to do. When am I supposed to sift through a badly written paper?”)…「真剣に受け止めようとするなら、これはサービス拒否攻撃に等しい。ほかのことをすべて止めて、まずこれを理解しろということだ」(“But it is the equivalent of a Denial of Service, should we want to take it seriously: stop everything else and figure this one out.”)(Asaf Karagila)

ただしKaragila氏は、Leanのコードは見ていないと明かしています。批判したのは原稿の文章の質であり、証明が誤っていると主張したわけではありません。AIの利用そのものに反対しているわけではないとも書いています。

Terence Tao氏(UCLA)は、同じ負担を数学コミュニティの側から見ています。以前は大きな証明が1つ出ると、講演やワークショップ、共同研究が続き、多くの数学者がその証明を理解するようになりました。ところがAIで問題を解いた人たちは結果を十分に理解しておらず、質問に答えたり講演をしたりできません。そのためセミナーや共同研究がずっと生まれにくくなっていると、Tao氏は指摘しました。

さらに強く反対する声もあります。Association for Human Mathematicsは10月7日の声明で、「700を超えるファイルを一度に公開したことは、学問を示したのではなく、力を誇示したのだ」(Releasing over 700 files at once is not a demonstration of scholarship, but a demonstration of power)と述べ、数学者たちにOpenAIとの協力をやめるよう呼びかけました。MITのAndrew Sutherland氏は、迅速な撤回を「責任ある行動」(the responsible thing to do)と評価しつつも、失った信頼を取り戻すにはもっと多くのことが必要だと述べました。

今回の公開を歓迎する側も、負担が大きいことは認めています。トロント大学のDan Litt氏はFortuneに、「数学にとってとても良いこと」(this is great for mathematics)だと語りました。同時に、この結果から理解を引き出すには膨大な人間の労力がかかるものの、その労力は数学者がずっと続けてきたものと大きくは変わらないとも述べています。OpenAIの社内には、すべての証明を理解できるほど幅広い分野の数学者が十分にいないとも見ています。

AIが結果を大量に送り出したことで、数学で足りないものは、証明を生み出す力から、証明を読み、確かめ、責任を持つ人へと移りつつあります

今回の公開資料に欠けている数字は、人が原稿1本を読んで確かめるのにかかる時間です。この数字は、OpenAIの資料にも、批判した数学者たちの文章にもありません。一方で、証明を生み出す側のコストは、約4,000問の問題と、結果1つあたり平均でChatGPT Proが3時間考えるのに相当する計算量という数字で公開されています。確かめる側で公開された数字は、プログラムが検査した300本だけです。残る419本は、数学者が時間を割かなければ確認されません。

証明を生み出す側証明を確かめる側
公開された数字問題約4,000問、結果1つあたり平均約3時間(ChatGPT Proの思考時間に換算)、原稿722本Lean形式化 300/719(約42%)
公開されていないこと失敗した問題の数、具体的な選定基準人が原稿1本を読むのにかかる時間
担い手OpenAIの社内モデルプログラム(42%)と数学者(58%)

公開の翌日に原稿3本が撤回され、別の原稿14本の証明が修正されました。Townsend氏は、誤りはさらに見つかるだろうと見ています。変更履歴にバージョンノートと撤回版の保存リンクがそろっていることについて、Hacker Newsのあるユーザーは「ソフトウェア開発のやり方が数学と出会うと、こうなる」(This is what it looks like when software engineering practices meet mathematics)と書き込みました。原稿が先に出て、確認と修正は公開の後からついてくる、という順番です。

Tao氏が提案する「Math 2.0」は、この変化に対する1つの答えです。Tao氏は、問題を解くことを数学の中心の座から下ろし、結果をかみ砕いて説明する解説や、コミュニティをつくる仕事をもっと高く評価すべきだと述べました。OpenAIもブログで、今後ワークショップや学会の費用を支援すると書いています。証明を1つ生み出すコストは計算量として公開されました。しかし、その証明を読み、誤りを見つけて撤回し、質問に答える仕事は、今も数学者一人ひとりの時間で埋めなければなりません。

かつての数学は、難しい問題を解いて証明を生み出す力を何より高く評価してきました。AIが原稿722本を一挙に公開すると、生み出された原稿の半分以上が、人に読まれて確かめられるのを待つことになりました。これから数学が力を注ぐべきなのは、証明を読んで確かめ、ほかの数学者にかみ砕いて説明し、誤りが見つかれば責任を持つことです。

さらに深く知りたい方へ

openai/math 変更履歴 撤回3本、証明修正14本、引用修正13本と、形式化の割合300/719を日付ごとに記したOpenAIの訂正記録です。 github.com

AGMAI勧告:Responsible Release of AI-Generated Mathematics 社内モデルで試す慣行、公開の場、形式化の状況の表示について、IASの諮問グループが9月29日に出した勧告です。 agmai.org

Terence Tao, Math 1.0 vs Math 2.0 AIが解いた結果がなぜ講演や共同研究につながらないのか、数学コミュニティが何をもっと高く評価すべきかを説明した投稿です。 mathstodon.xyz